立教女学院 理事長の多忙な職に就かれながら、立教・WMU会会長、カラマズー会理事を務められた酒向登志郎先生が、大変残念なことに一年余りに亙る闘病生活を経て、2010年5月6日にご逝去されました。時をおき、同年7月24日に、訪日中の曽我先生ご夫妻のご臨席を仰ぎ、総勢40名近くの会員によるカラマズー会主催「酒向登志郎先生を偲ぶ会」が、龍理事のご厚意により池袋の東明飯店にて開催されましたので、大変遅くなりましたがここにご報告申し上げます。
酒向先生は、1971年に夏季留学の学生引率でウエスタンミシガン大学に一ヶ月余り滞在されたのをきっかけとして、その後、何回となくカラマズーとWMUを訪問・滞在されました。また、近年はカラマズー会の理事として会の発展に数々の貢献をされました。
7月下旬が、酒向先生御令嬢のご出産予定日に当たると判っていましたが、「まさか、この日にご出産が始まるなどという『いたずら』を、酒向先生はなさらないだろう」と祈りつつ、「偲ぶ会」は7月24日と決定しました。あにはからんや、当日の朝、酒向先生の奥様から連絡があり、「陣痛が始まった」との事で、中心人物の奥様が来られるか分からないまま、会は始まりました。
藤島理事の司会の下、黙禱に始まり、大嶋会長の感極まる挨拶、野口悦生さんによる献杯、そして、龍夫人、高村憲子さん、千谷美恵さん、Steve Covell 先生、平山由美子さん、城戸定雄さんによる、心のこもったご挨拶と想い出話が続きました。ここで、歓談の時間をはさみ、曽我先生のご挨拶となったその時、(御令嬢の容態が落ち着いたとのことで)酒向先生の奥様が、到着されました ! 酒向先生も、粋な計らいをされたものです。奥様からは、ご挨拶の最後に以下のお言葉を頂戴しました。「主人にも、初孫の顔を見せて上げたいと思うのは、『欲』になるので、望みませんでした・・・。」
この後、藤島理事より「酒向先生に捧げる歌」が披露されました。そして最後に、酒向先生が作詞・作曲された「Bye My Friend」を、先生の歌(CD)に合わせて全員で合唱し、会は厳かに且つ暖かさに包まれ終了しました。
改めて、ここに酒向先生の御冥福を心よりお祈りしたいと存じます。
カラマズー会「酒向先生を偲ぶ会」企画委員会一同
酒向先生に捧げる詩:作詞 藤島 俊一
(1) 酒向先生 カラマズー会の有志で集まって
ありし日の事など 偲んでいます
(2) 今日の日の大事な集い カラマズーから
曽我先生、奥様 いらしています
(3) ここにある遺影の写真 笑ってるだけ
そちらから、私達のこと 見えますか?
(4) その笑顔、笑い声 決して忘れません
カラマズー会のこと 見守っていて下さい
Bye My Friend:作詞・作曲 酒向登志郎
(1) 楽しい日々も 悲しみのときも
はるか彼方の思い出の月日
たとえ別れてゆくとも
心のささえになろう Bye My Friend
(2) 信じあった友も 喧嘩した友も
はるか彼方の思い出の友達
たとえ別れてゆくとも
心のささえになろう Bye My Friend
(3) いつか君たちも 思い出すだろう
はるか彼方の さよならの歌を
さようなら さようなら
きみたちに会えてよかった Bye My Friend
村上Memorial
カラマズー会の皆様
紅葉の美しい季節となりましたが、皆様にはご清祥のこととお慶び申し上げます。
カラマズー会の皆様、どの様にしてこの会が発展してきたか、ご存知ですか?
この50年を振り返りますと、WMUにとって日本人学生の団体留学は初めてといってもいい、1962年の慶應大学学生の短期留学とその一員であった村上由希子さんの不幸な事故が歴史の端緒となったのでは、と存じます。
本年8月、62年に米国Western Michigan 大学に短期留学され、終了後再度カラマズーに向かうバス旅行中に、不幸にも事故で亡くなられた村上由希子さんの50回忌を迎えました。この50回忌を記念して、Western Michigan大学は、7月14日に由希子さんの妹さんである山本道子様ご夫妻をお招きし記念式典を開催、同時に2005年に編纂した「Yukiko Murakami Memorial Plaqueの由来」を再編纂致しました。8月3日には、ご実家の村上開新堂で、山本ご夫妻主催による関係者の方々への「50回忌を迎え、日頃のご厚情に対するお礼の昼食会」が開かれました。
また、本年8月8日の朝日新聞夕刊に、村上奨学金制度の設立とその後50年に亘る日米交流の広がりについての記事が掲載されました。「村上メモリアルブック」につきましても、下記リンクを設置しましたので、ご高覧頂きますれば幸甚です。その他、二つの行事の詳細は左リンクボタンよりご覧ください。
カラマズー会としてはこの50回忌記念事業を第一歩として、各時代をすごして来られた留学生の皆様からの投稿を待ち、「留学生達の投稿による、カラマズー会と留学生のみたWMUの歴史」を編纂することにより、皆様との絆を更に深めたく思います。本企画につきましては、改め皆様にご相談申し上げたく宜しくお願い申し上げます。
カラマズー会 会長
69-71 大嶋 英二
PDFリンク
酒向先生を偲ぶ会
立教女学院 理事長の多忙な職に就かれながら、立教・WMU会会長、カラマズー会理事を務められた酒向登志郎先生が、大変残念なことに一年余りに亙る闘病生活を経て、2010年5月6日にご逝去されました。時をおき、同年7月24日に、訪日中の曽我先生ご夫妻のご臨席を仰ぎ、総勢40名近くの会員によるカラマズー会主催「酒向登志郎先生を偲ぶ会」が、龍理事のご厚意により池袋の東明飯店にて開催されましたので、大変遅くなりましたがここにご報告申し上げます。
酒向先生は、1971年に夏季留学の学生引率でウエスタンミシガン大学に一ヶ月余り滞在されたのをきっかけとして、その後、何回となくカラマズーとWMUを訪問・滞在されました。また、近年はカラマズー会の理事として会の発展に数々の貢献をされました。
7月下旬が、酒向先生御令嬢のご出産予定日に当たると判っていましたが、「まさか、この日にご出産が始まるなどという『いたずら』を、酒向先生はなさらないだろう」と祈りつつ、「偲ぶ会」は7月24日と決定しました。あにはからんや、当日の朝、酒向先生の奥様から連絡があり、「陣痛が始まった」との事で、中心人物の奥様が来られるか分からないまま、会は始まりました。
藤島理事の司会の下、黙禱に始まり、大嶋会長の感極まる挨拶、野口悦生さんによる献杯、そして、龍夫人、高村憲子さん、千谷美恵さん、Steve Covell 先生、平山由美子さん、城戸定雄さんによる、心のこもったご挨拶と想い出話が続きました。ここで、歓談の時間をはさみ、曽我先生のご挨拶となったその時、(御令嬢の容態が落ち着いたとのことで)酒向先生の奥様が、到着されました ! 酒向先生も、粋な計らいをされたものです。奥様からは、ご挨拶の最後に以下のお言葉を頂戴しました。「主人にも、初孫の顔を見せて上げたいと思うのは、『欲』になるので、望みませんでした・・・。」
この後、藤島理事より「酒向先生に捧げる歌」が披露されました。そして最後に、酒向先生が作詞・作曲された「Bye My Friend」を、先生の歌(CD)に合わせて全員で合唱し、会は厳かに且つ暖かさに包まれ終了しました。
改めて、ここに酒向先生の御冥福を心よりお祈りしたいと存じます。
カラマズー会「酒向先生を偲ぶ会」企画委員会一同
酒向先生に捧げる詩:作詞 藤島 俊一
(1) 酒向先生 カラマズー会の有志で集まって
ありし日の事など 偲んでいます
(2) 今日の日の大事な集い カラマズーから
曽我先生、奥様 いらしています
(3) ここにある遺影の写真 笑ってるだけ
そちらから、私達のこと 見えますか?
(4) その笑顔、笑い声 決して忘れません
カラマズー会のこと 見守っていて下さい
Bye My Friend:作詞・作曲 酒向登志郎
(1) 楽しい日々も 悲しみのときも
はるか彼方の思い出の月日
たとえ別れてゆくとも
心のささえになろう Bye My Friend
(2) 信じあった友も 喧嘩した友も
はるか彼方の思い出の友達
たとえ別れてゆくとも
心のささえになろう Bye My Friend
(3) いつか君たちも 思い出すだろう
はるか彼方の さよならの歌を
さようなら さようなら
きみたちに会えてよかった Bye My Friend